近畿自然歩道 兵庫5「文学をめぐるみち」①

青春18きっぷのシーズンだ。今回は近畿自然歩道を歩くために使おうと考えた。兵庫県のコースを行こうと考えていたが、大阪から行くには遠い日本海側の浜坂にあるコースから攻めてみるか。福知山線~山陰本線と乗り継いで11:25分頃、近畿自然歩道 兵庫5「文学をめぐるみち」のスタート地点にある諸寄駅に到着する。降りる人が自分以外に一人いた。

さーて・・・。

駅から出ますか。やっぱ無人駅なんだね。

駅を出ると・・おおっ 看板があるぞ。

すごい・・・カネかけてんじゃん!大阪府や和歌山県とはエラい違いだ!こういうように整備してくれているのは助かりますよ。

兵庫県だけでもけっこうなコースがある。こりゃ全踏破するのは気が遠くなるくらい時間がかかりそうだな。

さーて・・・おぉー関東ふれあいの道でもここまでちゃんとしたコース案内はなかったなぁ。兵庫県、なんだか好感が持てますね。

兵庫県の気合を感じる。ではでは諸寄駅から出発しますか。なんか楽しみ。

駅から歩き始めてすぐに立派な門構えのお寺が左手に現れた。龍満寺という。かっこいい山門だ。

山門をくぐって境内をのぞいてみると・・・左手から何やら児童の声が聞こえてきた。どうやら幼稚園か保育園を併設しているような感じだった。

山陰本線をくぐって海側に進みますか。

いやぁなんか風情ある街並みだね。山陰の日本海沿岸の街って感じだ。

狭い路地だな・・・・んん?

右手の塀に・・・おおっ すげーじゃん!ちゃんと道標を設置してるんだね!なんだか兵庫県が好きになりましたよ。

海が家屋の間から見えてきた。

R178を横断する・・・・んん?

おおっ すげーじゃん!ここにもちゃんと標識が!和歌山県さん!大阪府さん!兵庫県さんはちゃーんと整備してくれてますよ!

標識に従って進みましょう。左手にある山を登る感じですね。

11:44 進んでいくと、石碑が歩道上に現れた。

これが歌碑なのかな。役場のHPには「前田純孝(号・翠溪)は、明治13年(1880)浜坂町諸寄に生まれた。4歳で生母と離別するなどの不幸な環境が、純孝の生涯に暗い影を落としたと言われている。明治35年(1902年)兵庫県師範学校(御影師範)を卒業した純孝は、周囲の反対を押し切って、東京高等師範学校に入学した。御影師範時代から本格的に歌の勉強をはじめ、「新詩社」に所属し「明星」にも歌が掲載されている。東京上京後は、与謝野寛(鉄幹)らと「明星」に精力的に作品を発表した。また純孝は短歌、詩、童謡の作詞・作曲なども手掛けた。 」知らなかったけど・・

1月2月の寒波襲来の時はこのあたりも大雪が降ったんだろうなぁ。

さてさて!先に進もう。ってどう行けばいいんだ?ここから入ってこの階段を下ればいいのかな?

磯の海岸に整備された歩道を行く。海岸線沿いに進む。

おわ~ 落石?こえー・・・

んん?これは変質者・・・というより、あの世襲の将軍様一家のお国の工作員の侵入のことを言ってるんだな。なんか生々しいな・・・・ 。ある意味、ここは国境なんだね。

この海岸沿いの遊歩道、バッチリ整備してあるね。

おっ また近畿自然歩道の看板だ。城山園地まであと500Mか。このまま進もう。

海岸沿いの遊歩道はしだいに細くなっていく・・・

んん?なんか荒れてるな~。

これは石段なのだろうけど・・・木が生えててかき分けながらでないと進めないな。

11:57 なんかおかしいな・・・ と思いながら進むが

やはり道標はバッチリある。

城山園地は右に300M・・・コースは間違ってないね。

矢印の方向は・・・・これだよなー。

なんとか藪をかき分けて進むと・・・なんか看板があるぞ。

「ゴミは持ち帰りましょう」だと?こんな藪が生い茂る道なき道をどうやってゴミを持ち込んで侵入して持ち帰らないことができるようになるんだ!という思いが脳内を駆け巡った。

この木段は、ここがコースだった名残なんだろうな。もうすっかり木が生えてて歩けないよ。

歩くとこ、どこだよ?

3点支持でなんとか急斜面の道なき道を藪をかき分けながら登っていくことおよそ30分・・・

12:28 標高差にしてやく100M、ついに藪との格闘とルートファインディングのすえ、城山のトラバース路に合流することができた。いやぁ久々にドキドキ&ワクワクした。まともな道があるところに出ることができてマジ、ほっとした。30分にもわたる標高差100Mの藪との戦いだった。

城山園地方面へ進むと

んん?看板だな。

なになに・・・芦屋城跡?とあるHPより「芦屋城は、戦国時代の武将・塩冶周防守が居城にしていた城で、周囲を断崖絶壁に囲まれた地形は、天然の要害となっており、海上交通を抑えるために築かれた城である。 芦屋城は、天正8年(1580)、羽柴秀吉が但馬を攻めたとき落城した。城主・塩冶周防守は、鳥取城主・吉川経家を頼り、翌年羽柴秀吉が鳥取城を攻めたとき、再び鳥取の雁金城と丸山城で戦ったが、いずれも落城し、自決した。」へぇー豊臣秀吉に攻められた城なんだ。

ここから600Mも離れてるのか。見に行くのはいいかな・・・

ということで、芦屋城跡はパスして12:32城山園地に到着した。

どれどれ・・・

おおーいい眺めだねー

これが歌碑なのか?

アララギ派の歌人・岡垣徹治の歌碑ということだ。正直、よく知らない。

城山園地の入り口を振り返る。さっきの芦屋城址はあの山の上にあるんだろうな。いやぁ~さっきの藪漕ぎもあったし行くのはちょいめんどうだなー。

ということで来た道を戻って矢城ヶ鼻灯台方面へと進む。

と、近畿自然歩道の道標だ

んん?塩谷海水浴場はこっち・・・・??

何処に下に下る道があるんだよ。このただの藪の斜面に見えるところがそうだってのか?こりゃ完全に廃道になってるんだね。誰も管理・整備してないんだな。

気を取り直して灯台方向に進んでいくと

おおーまた展望地だね。

しかし、標識がたくさん設置してあって迷わない・・・ってさっきの廃道の藪には参ったが・・・

ちょっくら眺めてみよう。

おお~

風光明媚なところだね。夏休みに海水浴で行ってみたいと思ったよ。

では先を急ぎましょうか

随所で見える海と海岸の風景がなかなか絶景だ。

灯台方向へ進んでいく。時折、倒木がコースをふさいでいたが、さっきの廃道の標高差100Mの登りに比べたらヘッチャラだゼ。

おっ なんか見えてきたぞ。

また道標だ。灯台まであと900Mか。

ここにもなにやら石碑があるなぁ。見てみようか。

加藤文太郎の石碑・・・・誰?と思ったがWIKIより「加藤 文太郎(かとう ぶんたろう、1905年(明治38年)3月11日 – 1936年(昭和11年)1月5日)は日本の登山家。大正から昭和にかけて活躍した。兵庫県美方郡新温泉町出身。兵庫県立工業学校夜間部卒業。 複数の同行者が協力し、パーティーを作って登るのが常識とされる山岳界の常識を覆し、単独行によって数々の登攀記録を残した。登山に対する精神と劇的な生涯から、小説(新田次郎著『孤高の人』、谷甲州著『単独行者 アラインゲンガー 新・加藤文太郎伝』)やドラマのモデルとなった。」なんだ、登山家だったんだ。すごいね、単独行のはしりだったんだね。

こうしてまた矢城ヶ鼻灯台へと歩みを進めた。

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