今回で3回目の東京ウォークだ。1回目の御茶ノ水駅を起点に今度は神田~日本橋方面へ歩いてみようと考えた。御茶ノ水駅に降り立つ。
神田方面へ歩く前にせっかくなのでニコライ堂に立ち寄ってみましょうか。
小川町方面へ歩いていくと
ほどなくニコライ堂に到着した。異国情緒を感じる。
へぇ。重要文化財なんだね。
なーるほどねー。掲示板にこういうQAを出すのは好感がもてるね。
ニコライ堂の見学を終え、中央線沿いを神田方面へ歩く。
昌平橋を通過する。歴史を感じる高架だね。
このレンガづくりの高架は味があっていいね。
万世橋にさしかかった。
このパネルは・・・そうか、ここに万世橋という駅があったんだ。そして駅前に日露戦争時の英雄とされ、のちに「軍神」として崇められた広瀬中佐の銅像があったのか。
この金属の柱?があるところに銅像があったのかなぁ。
これが戦前の万世橋駅の写真ということだ。現在の東京駅と見まごう立派な駅舎だったんだな。
かつて広瀬中佐像が東京の街を見下ろしてたのか。現在の万世橋付近は当時の面影が全く残っておらず、単なる「通過点」となっていて時の流れを感じた。
では須田の交差点から神田駅方面へ、中央通りを進んでいきましょう。
神田駅の高架をくぐると
しばらく歩くと右手に重厚感のある建物が見えてきた。
三井住友信託銀行・・・!
三井住友銀行!すげー、まるで大英博物館のような(実物をみたことないけど)立派さだよ。
・・・そしてその隣には三越本店!
すげぇ。そこらのスーパーとはまるで格式が違うよ。
三越本店の象徴の獅子像ですね。まぁしかし、この獅子像をもの珍しい気にカメラでバシバシ撮ってると田舎モン丸出しだね。
三越本店をでるとほどなく日本橋に到着。
おぉ~これが日本橋なのか。かっこいいね!
日本国道路元標!
へぇ。
ではいにしえの旅人になった気分になって日本橋を渡ってみましょうか。
歴史の重みを感じる。
現在の橋は明治期のものなんだね。
日本橋を通過してCOREDO日本橋のある交差点を左に曲がり
首都高をまたいで進むと
兜町に入り・・・おおっ東京証券取引所!ここにあったのか。
へぇ~意外にこじんまりとしているな。もっとデカい建物かと思ってたよ。
首都高江戸橋JCTのあたりをくぐり
小網神社へと向かう。
この路地を進むと小網神社はあった。小網神社HPより「武蔵国豊島郡入江のあたりに万福庵という観世音と弁財天とを安置する庵がありました。この庵は恵心僧都の開基で、観世音と弁財天も僧都の作と伝えられています。開基の年代は明らかではありませんが、恵心僧都の歴史を考えれば、今からおよそ一千年前ということになります。 文正元年(西暦1466年)、庵の周辺で悪疫が流行し、人々は困り果てていました。そんななか、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って庵を訪れ、数 日間をこの庵で過ごしました。ある夜、庵の開基・恵心僧都が当時の庵主の夢枕にたち、網師の翁を稲荷大神と崇めれば、村の悪疫は消滅することを告げます。 夜が明け、網師翁の姿は庵にはありませんでしたが、庵主は恵心僧都の託宣を村人たちに告げ、翁を小網稲荷大明神と称え、神社を創建して日夜祈願をつづけま した。すると間もなく村の悪疫は鎮まり、村人たちは歓喜したといわれています。 領主・太田持資公(道灌)も、この御神徳を聞き、折に触れて、当神社を詣でました。そして土地を寄附し、小網山稲荷院万福寿寺と名づけたと伝えられてい ます。慶長年間(西暦1596~1615年)には、これらにちなみ周辺地域が小網町と名づけられ、当神社を氏神と崇めました。」
おぉっ 「銭洗いの水」ですか。これは銭を洗うっきゃないでショ。
えぇ~と・・・このザルにいれて神水にさらすのかな。
財布の「宿銭」とする硬貨¥100を一枚取り出し、神水にさらして洗ってみた。
こんなモンでいいかな・・・まぁ効果のほどはまた気が向いたら報告しますよ。
こうして小網神社参拝を終え、次なる目的地・水天宮へと向かう。
おお!これが水天宮さんか!ずいぶん新しめな感じだなぁ。そうか、つい最近まで改修工事をやっていたのか。
では参拝しましょうか。近代的なつくりのエントランスから入ると
真新しい本殿が鎮座していた。
けっこう並んでいた。私も並んで参拝することにした。
水天宮HPより「松家を祖とする摂津有馬家は、応仁の乱の引き金となった嘉吉の乱の後に有馬の郷(現神戸市北区)に落ち延びて隠れ住み、その土地から姓を取って有馬と名乗 りました。後年、太閤秀吉に見出されて中央に戻してもらいました。その幸運を授けて下さった有馬(有間)神社のご祭神である天御中主大神のご神徳を代々忘 れぬよう、有馬神社の社紋である三つ巴を有馬家の家紋としました。現在でも、当主にのみ三つ巴の紋を付けることが許されております。大名家としての有馬家は、元和6年(1620)に久留米藩二十一万石を拝領し、当時は尼御前大明神と尊称されていた水天宮に対して、第二代藩主有馬忠頼公は、城下の筑後川に臨む広大な土地を寄進し、社殿を造営致しました。敬 神の念は代々の当主に受け継がれ、参勤交代の折に江戸で水天宮を親しくお参りできるように第九代藩主有馬頼徳公は、文政元年(1818)芝赤羽根橋の上屋 敷内へ国元久留米より御分霊を勧請致しました。爾来、水天宮は当主と共にあり、明治4年には青山、翌5年には日本橋蛎殻町へと移転致しました。関東大震災 をはじめ、数多の苦難を乗り越え、現在に至っております。」
水天宮での参拝を終えるとあたりは江戸情緒残る人形町の街並みに入る。
こうしてお手軽に東京下町の散歩を楽しんで
地下鉄人形町駅より帰宅した。
※2016年6月26日
コメント