岡山の旅

青春18きっぷを使用する3回目の鉄道旅だ。大阪を起点に何処に行こうか色々考えたがこの年末、日本海側は天気がよろしくない。となると天気のよい瀬戸内方面に行こうと考えた。そういえば、一回目の時に高松へ行ったときにスルーした岡山を色々と巡ってみたいと考えた。大阪駅より山陽本線を西へ進み昼過ぎに最初の下車駅、倉敷駅で下車する。

倉敷駅改札を出ると正面に観光案内図が目の前に・・・倉敷美観地区に行きたいんだよな。

美観地区は左ですか。 

駅を出る。これが倉敷の街か~。

美観地区は右へ下っていくんですね。

元町通りを南下していくと・・・この案内図は?

おおっ 中国自然歩道! いやぁ、中国自然歩道に手をつけるなんてまぁムリだろうなー。

美観地区まであと500Mか。

倉敷駅から12分ほどで美観地区の入口に到着した。ぜんぜん徒歩圏内だね。

おぉ~まるで時代劇のセットみたいだね~

人力車ですか。

運河・・・いいね。

いやぁ~こりゃ凄いよ。ホント、タイムスリップしたかのような錯覚を憶えるね!よくこんな街並みが残ったね!第二次世界大戦時の空襲を受けてないのだろうか。

江戸末期~明治期の街並みをそのまま保存してるんだね。

向こう側に渡ってみるか。

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おぉ~人通りが無いけど、こういう裏道でもこういうたたずまいになっているのは凄いね
手を抜いてないね!

この旅館はまた味があるねぇ~

徳川吉宗の時代に建てられたんだねー。300年近い歴史があるんだー。

これ、「つくりもの」じゃなくて「いにしえの姿」そのままなんだね。

あれぇ?普通に表札がかかってるぞ。実際にここに住んでるの?

倉敷美観地区、なかなか見ごたえがあった。関東でも川越でこういう街並みが残ってるがこっちのほうが本格的だし、規模も大きいね。こうしてひととおり見学して倉敷駅に戻ってきた。

倉敷駅に到着して正味1時間で往復して見学を終えた。えぇ?もっとじっくり見たほうがいいんじゃないかって?そうですね。そのとおりですね。

ということで倉敷から岡山へむかう列車に乗り・・・。

岡山駅に到着した。

岡山駅だー。駅前に建つこの銅像は桃太郎さんですか。

後楽園と岡山城に行きましょう。道路を渡ったあの路面電車で行けるんだね。

おぉーシブい路面電車だねー

路面電車でレッツゴー。

5分程で岡山後楽園・岡山城のある城下駅に到着。

んん?ここからどう行けば・・・・ あの階段を降りていくのかな?

あぁやっぱそうなんだ。ここを降りていくんだね。

ええと・・・岡山後楽園の正門に行きますか。左だね。

歩いていくと・・・神社が見えてきた。

おおっ これが岡山神社ですか。

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これが本殿なんだね。WIKIより「貞観年間の創建と伝えられ、当初は後に岡山城が築かれることになる岡山という丘の上に鎮座していた。天正元年(1573年)、宇喜多直家が岡山城を築くに当たって、当社を城の側の現在地に遷座、岡山城の守護神とし社領を寄進した。宇喜多秀家が本殿を造営し、次いで城主となった小早川秀秋が拝殿以下を造営した。江戸時代には藩主池田家により城内の鎮守として崇敬され、社領300石が寄進された。それまでは酒折宮と呼ばれていたが、明治15年(1882年)に岡山神社に改称し、岡山市の総鎮守とされた。昭和16年(1941年)に社殿の改修、社務所の新築が行われたが、昭和20年(1945年)に戦災により随神門と末社数社だけを残して焼失した。昭和33年(1958年)に本殿が再建され、次いで昭和50年(1975年)に拝殿、幣殿が造営され、平成元年(1989年)に現在の社務所、参集所が完成した。」岡山城のあるところにもともとはあったのか。宇喜多・・・小早川・・・ビッグネームだね。

旭川のむこうにあるのが岡山後楽園なのか。

では橋を渡って・・・

岡山後楽園に入場しますか。やっぱ有料なんだね。

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¥400なんだね。※2016年12月時点

よぉ~し、入場券を買ったし、いよいよ入りますか。これで学生時代に行った金沢の兼六園、社会人になったころに行った水戸偕楽園に続いて日本三大庭園網羅できるね。

ではでは岡山後楽園を見学しましょーか。

門をくぐると・・・。

平四郎の松?築庭当初からあるんだね。

園内はこうなってるのかー

おおっ あれは・・・・!

岡山城天守閣だ!後楽園から見た岡山城、いいね!でもこれ、復元の天守閣なんだよね。

水戸の偕楽園とはまた違う雰囲気だね。

WIKIより「後楽園は岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて造らせたもので、1687年(貞享4年)に着工し14年の歳月をかけ1700年(元禄13年)に完成した。岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置する。藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としている。江戸時代には延養亭を茶屋屋敷、庭園を後園または御後園と呼んでいた。1871年(明治4年)、園内を一般開放するにあたって、これを後楽園と改めた。総面積は133,000平方メートルであり、東京ドームの約3倍である。」

ここから眺める岡山城天守は素晴らしいね!

梅の木のむこうに岡山城天守。

おっとぉ・・・これで後楽園の折り返し地点まで来たんだね。

WIKIより「池田家史料によると、1687年(貞享4年)12月に着工し(鍬始め)、翌1688年(元禄元年)には本格的な土木工事にとりかかり、次々と園内の建造物や植栽が完成していった。藩主・綱政は岡山在城中に足しげく庭園に通い、工事開始4年後の1691年(元禄4年)には、完成したばかりの延養亭で綱政が永忠ら工事に携わっている家臣の労をねぎらって園内で宴を催していることからも、この時点で綱政が満足できる出来栄えになっていたとみられる。途中、洪水の被害を受けて施設の建て替え等を余儀なくされたが、その後も庭園の拡張や新たな施設の建築が行われ、1700年(元禄13年)に一応の完成をみる。 なお、庭園は工事が始まった当初は「御菜園」、「御菜園塚」などと呼ばれていたが、1695年(元禄8年)頃には城の背後にあることから「御後園」または「後園」と呼ばれるようになった。」岡山藩主もこの風景を眺めてたんだろうね。

では南門から岡山城へと参ろうか。

この門をくぐると・・・・

おお! 川をはさんだ向こう岸に岡山城が!スワンボートがいい味・・・というより目障りかな。

橋を渡ると

橋を渡り、後楽園方面を振り返る。

おお~ これが岡山城なんだ。宇喜多秀家!まぁあの天守は復元の天守だけど・・・

右手にあるこの櫓は当時から現存する櫓?

ではいざ本丸の奥へと参ろう。

廊下門っていうんだ。鉄筋コンクリートで再建されたものなのね・・・

門をくぐると

広場があった。ここには本丸御殿があったということで、広場に御殿の間取りの表示が施されていた。

この門は閉めっぱなしだったんですね。しかし、明治政府は貴重な文化財をけっこう破壊しちゃったんだね。明治維新の闇の部分だね。

さらに天守へ通じる門をくぐると

おおっ 岡山城天守閣だ。現物を忠実に復元しているということだがこうしてみるとちょっとショボいな。

入口があるが閉まってるな

あぁ、年末年始は閉まってんだよね。リサーチ済みですよーだ。

これで岡山城も見学することが出来た。

では岡山駅へ戻りましょう。こういう石垣も凄いよね。要塞って感じだよね。

いやぁ見ごたえがありました。関東と違ってこういう史跡も規模が違うね!

こういう史跡が関東にもゴロゴロしてればなー

岡山後楽園・岡山城の見学を終え、さきほど乗った路面電車の城下駅を目指す。

路面電車はすぐにやってきた。けっこうな本数があるんだね。

こうして岡山駅に戻ってきた。岡山駅から岡山城往復見学時間込みで2時間ってとこだった。

岡山駅前の桃太郎像だ・・・んん?

カラスのお供をさらに増やしたんですか?

こうして岡山での散策を終え、山陽本線を大阪へ戻って帰宅した。

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