近畿自然歩道 和歌山11「熊野速玉大社を訪れるみち」①

青春18きっぷを購入して2回目のお出かけだ。今回は、紀勢本線をひたすら進んで新宮市に行き、和歌山の近畿自然歩道を歩こうと考えた。阪和線~紀勢本線をひたすら進み、10:40頃新宮駅に到着。オール鈍行で5時間かかったねー。

新宮駅だ。初めてきたなー。

駅前のローソンで腹ごしらえをして11:08出発。

街中を歩いていく。活気は・・・ないね。

市街地を歩いていくと・・・何やら池とうっそうと生い茂る植物が目に入ってきた。

あぁここが浮島の森ってところなんだ。ここは植物園みたいなところなのかな。

これはいったいなんだ。

おいの伝説・・・。へぇ~こういうことが言い伝えられてるんだ・・・

近畿自然歩道のコース通りに進んでいくと

熊野速玉大社!

『紀伊山地の霊場と参詣道』と2004年に登録された世界遺産なんだね!

新宮駅から25分近くかかって熊野速玉大社に到着した。

熊野速玉大社!

ではでは参拝しましょー。鳥居をくぐっていくと

こうなってるのか。

おおっ あれは・・・

これが「梛の大樹」なのか。天然記念物なのか。

すげえなぁ。WIKIで調べると「熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮1にある神社。熊野三山の一つ。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。 境内地は国の史跡「熊野三山」の一部。2002年(平成14年)12月19日、熊野三山が史跡「熊野参詣道」から分離・名称変更された際に、御船島を含む熊野速玉大社境内が追加指定された。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部。熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神とされ、熊野本宮大社では同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)とされる。また、この速玉之男神の名から神社名がつけられたといわれる。熊野夫須美大神は伊邪那美神とされる。もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。」とある。

お参りしましたよ。

遠目にズームしちゃいました。んん?八咫烏かな?

いろんな神様がいるんだね。

素晴らしい世界遺産だ。

いやー、なかなか見ごたえがあったねー

鳥居から出ると

入り口に・・・・なんだこれは

佐藤春夫・・・・WIKIより「佐藤 春夫(さとう はるお、1892年(明治25年)4月9日 – 1964年(昭和39年)5月6日)は、近代日本の詩人・作家。艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで旺盛に活動した。筆名を潮鳴、沙塔子、雅号を能火野人と称した。」作家なのね。ごめん、正直よく知りません。

句碑なんだ。なんて書いてあるかわかんないや。

それでは先へ進みましょうか。

道中、こんな道標が・・・神倉神社へ向かいましょう。そういえば、近畿自然歩道としての道標は全く無いね。

こんな表示も・・・・ここまで水が来たんだ・・・恐ろしや。

小学校の脇を進んでいくと

おおっ 風情のある橋だね~ ここが神倉神社なのかな?

神倉神社だ。

この小さい祠が?と思ったが、これは猿田彦神社ということだ。

神倉神社本殿へはこの鳥居から入っていくんだな。

・・・!!!!

こりゃ凶悪な感じの石段だなぁ~こりゃきついぞ!

登り始めて5分程で勾配が緩くなってきた

おっ なんか見えてきたぞ。

おぉ~これで登り切ったかな?

これが神倉神社の本殿なのか。すごい立地だなぁ。

最後の階段をのぼって参拝してみよましょう。

これが本殿か。WIKIより「神倉神社(かみくらじんじゃ、かんのくらじんじゃ)は和歌山県新宮市の神社。熊野三山の一山である熊野速玉大社の摂社。境内地は国の史跡「熊野三山」の一部、および世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である。神倉神社は、熊野速玉大社の摂社である。新宮市中心市街地北西部にある千穂ヶ峯の支ピーク、神倉山(かんのくらやま、かみくらさん、標高120メートル)に鎮座し、境内外縁はただちに断崖絶壁になっている。山上へは、源頼朝が寄進したと伝えられる、急勾配の鎌倉積み石段538段を登らなければならない。山上にはゴトビキ岩(「琴引岩」とも。ゴトビキとはヒキガエルをあらわす新宮の方言)と呼ばれる巨岩がご神体として祀られている。この岩の根元を支える袈裟岩と言われる岩の周辺には経塚が発見されており、平安時代の経筒が多数発掘され、そのさらに下層からは銅鐸片や滑石製模造品が出土していることから、神倉神社の起源は磐座信仰から発したと考えられている。神倉神社の創建年代は128年頃といわれているが、神話時代にさかのぼる古くからの伝承がある。『古事記』『日本書紀』によれば、神倉山は、神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あめのいわたて)の山であるという。このとき、天照大神の子孫の高倉下命は、神武に神剣を奉げ、これを得た神武は、天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされている。しかし、「熊野権現御垂迹縁起」(『長寛勘文』所収)には神剣と神倉山を結びつける記述はないことから、天磐盾を神倉山と結びつける所説は鎌倉時代以降に現れたものと考えられている。」すげー歴史があるんだね~。

参拝しました。

ふと左手を見ると新宮市の市街地が見下ろせた。素晴らしい展望だ。

では、下りましょうか。

さっき登ってきた石段を上から見下ろす。うわ~上から見ても凶悪な階段だよー。下りも怖いね。冬の北アルプスと同じでここで足を踏み外したら「痛てぇ」じゃ済まないでしょ

いやー ドキドキの階段を降り終えたよ。

川を渡ると

なんだか下界に舞い戻ってきたみたい。

R42を横断して

紀勢本線の踏切を渡ってさらにコースを進んでいった。

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