そうだ京都へ行こう#1 ②(京都御所~二条城)

承明門の中に入ると・・・おぉ!すげー!これは・・・紫宸殿っていうところなんだ。WIKIより「紫宸殿(ししんでん/ししいでん)は、内裏において天皇元服や立太子、節会などの儀式が行われた正殿。「南殿」や「前殿」、古くは「紫震殿」とも。殿舎の南には南庭が広がり、北には仁寿殿が位置する。天皇の普段居住する殿舎である清涼殿に対し紫宸殿は公的な意味合いが強かった。紫宸殿は本来天皇の私的な在所である内裏の殿舎の一つであったが、平安中期以降、大内裏の正殿であった大極殿が衰亡したことにより、即位の礼や大嘗祭などの重要行事も紫宸殿で行われるようになった。内裏は鎌倉時代に火災にあって以後、再建されることはなかったが、紫宸殿は臨時の皇居である里内裏で再建され、現在の京都御所(これも元は里内裏である)にも安政2年(1855年)に古式に則って再建されたものが伝わっている。その構造は正面九間の母屋(もや)の四方に庇を巡らせ、さらにその外側に高欄の設置された簀子を配しており、母屋中央には高御座が置かれている(古くは帳台が置かれた)。母屋と北庇との境は賢聖障子(げんじょうのしょうじ)と呼ばれるパネル状の障子(襖)で仕切られており、南庇中央には18段の階(南階)がある。」

ここで歴代の天皇が即位の礼とか大嘗祭とかやったんだ・・・すげーなぁ・・・。

順路を進むと

こりゃまたすごい建物が

なになに・・・清涼殿・・・ WIKIより「平安時代初期、天皇の日常生活の居所として仁寿殿や常寧殿が使用されていたが、中期にはこの清涼殿がもっぱら天皇の御殿とされ、紫宸殿が儀式を行う殿舎であるのに対し、日常の政務の他四方拝・叙位・除目などの行事も行われた。ただしこの清涼殿も次第に儀式の場としての色彩を強め、中世以降は清涼殿に替わって常御所が日常の居所となった。内裏は鎌倉時代に火災にあってからは再建されることがなかったが、清涼殿は臨時の皇居である里内裏において清涼殿代として再建され、現在の京都御所(これも元は里内裏である)にも安政2年(1855年)に古式に則って再建されたものが伝わっている。」

そうか、ここが天皇のオフィスってことか。中をズームしてみた。

すごいねー。平安時代にタイムスリップしたみたいだよ。

うぉ~なんかすげーなぁ・・・

小御所・・・

右手に目をやると美しい日本庭園だ。

中庭?

おぉーここで蹴鞠をしたんですか!

いやーほんと見ごたえあるね!


んん?なんかこのあたりはオフィス的な感じじゃないなぁ。

あぁ、ここで暮らしてたのか。天皇家の家だね。

ここで寝起きしてたのか。

いやーすごい見ごたえがあった!

ここは?

すごいねー、行事をやるための御殿なんだ。

ちゃんとメンテして修復してるんだ。

この絵は当時からのものなんだろうか

あっちにも

現代画家の作品・・・じゃないよね。

いやぁ~すごかったです

この大きな門を出ると

京都御所見学コースを一周した。御所内にお土産屋さんがあるんだ。

こうしてみると公開されているのって半分くらいなんだな。

それでは首にぶら下げてたナンバープレートを返却して

内裏から出た。いやーこれは一見の価値がありますよ。大阪に単身赴任してよかったかも・・・

京都御所から下界に出ましょう。

さすがは、京都御所。天皇家の歴史を感じました。

歩道を南へ進んでいくと

護王神社?こりゃまた何か由緒がありそうな神社ですね。WIKIより「護王神社は、和気氏の創建による高雄神護寺境内に作られた、和気清麻呂を祀った廟(護王善神堂)に始まる。正確な創建の年代は不詳である。和気清麻呂と姉の広虫は、宇佐八幡宮神託事件の際に流刑に処せられながらも皇統を守った。孝明天皇はその功績を讃え、嘉永4年(1851年)、和気清麻呂に護王大明神の神号と正一位という最高位の神階を授けた。明治7年(1874年)、護王善神堂を神社として護王神社に改称し、別格官幣社に列格した。明治19年(1886年)、明治天皇の勅命により京都御苑蛤御門前付近にあった公家の中院家の邸宅跡(現在地)に遷座された。和気清麻呂が宇佐へ配流の際に、道鏡から送り込まれた刺客に襲われたのを、突如現われた300頭の猪によって難事を救われたとの伝説から、明治23年(1890年)から狛犬の代わりに「狛猪」が置かれており、「いのしし神社」の俗称もある。そのため亥年の参拝者は例年よりも増加する傾向がある。境内には狛猪のほかにも多くの猪に因むものがある。」うわぁ~これまた古い歴史があるんですね・・・

なに?さざれ石?

これが「君が代」のさざれ石?

苔がむしてるよ・・・

お神楽舞台と・・・

猪ですね

さすが京都、ちょっと歩いただけでいろんな由緒あるところがあるね。二条城へ向かいましょう。右に曲がって西へと進みます。

しばらく西へと進み、ここを曲がっていくと・・・

おっ 二条城の石垣だ!

人通りが多くなってきたね

おぉー二条城の入場券を買う人でごった返してるな。

ここは中学校の修学旅行で来たことがあったはずだけど・・・あまりよく憶えてないからいい機会だよ。

門は改修中だった。

立札があるね。

二の丸への門。おぉ~かっこいい門だね!

おぉーすげえや。

さっそく入ってみましょー!

おっとぉぉぉ・・・ここは姫路城と違って撮影禁止ですか・・・残念。

二の丸御殿は広かった。中でも印象的だったのは徳川慶喜公が大政奉還したという二の丸御殿大広間だ。ここでおよそ150年前に大政奉還したのだと思うと・・・ なんだか歴史の一場面を垣間見た思いがした。

二の丸御殿内部の見学を終えた。姫路城とはまた違った見どころがあった。これだけ御殿が残ってるのも全国的に珍しいんじゃないだろうか。

おお?また堀が・・・そうか!あっちは本丸なのか。

いざ、二条城の本丸へ・・・。

二条城にかつて天守閣なんてあったんだ。

へぇ~天守閣・・・天守台があったなんて知らんかったよ。

それほど大きくは無いのかな。

天守台の上に上がるとベンチがある広場になっていた。

天守台から本丸の堀を見下ろす。

本丸に御殿が残ってるんだ。近くに行って見てみましょう。

これが本丸御殿か!

しかし、内部は見学することはできなかった。残念!

本丸を出て

本丸の外部から天守台の石垣を眺めた。

そうね・・・やっぱ、小さいよね。何層の天守があったんだろうか。

二条城もすっかり秋だ。

そういえば、二条城はほとんど平坦だったな。典型的な平城なのか。この門をくぐると

傾いた陽に照らされた銀杏がいい感じだ。

この門を越えると

あぁ、さっきの二の丸への門か。一周したんだな。

いやぁ二条城、見ごたえがありました。中学校の修学旅行で行った憶えがあるのだけど、二の丸御殿の内部は見学したっけ?大政奉還の大広間は見た記憶がなかったなぁ。中は見学してないのかな?

もうだいぶ陽も傾いたのでこれで終わりにしましょう。このまま大阪へ戻りたいので阪急大宮駅を目指して歩きましょうか。

二条城から15分ほど歩いて阪急大宮駅に到着した。いやー結構歩いたね!2万歩以上いったよ!

阪急京都線に乗って大阪へ戻った。阪急も梅田まで¥400で安かったなー!

*2016年11月5日

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