日光道中二十一次の歩き旅①日本橋~千住宿

新型コロナによる外出自粛の号令で運動不足になった解消に登山よりも負担が軽いことは何かないか考え、その当時見たユーチューバーのスー〇さんの自転車で東海道をめぐる動画に影響され「街道の宿場町巡りも面白そう」と思い日光街道を歩いてみることにした。この時期、1年遅れの東京オリンピックがいったん全日程を終えこれからパラリンピックが始まる、というタイミングで日本橋にやってきた。

みなさんなにやらカメラを向けている…あぁこれね。

日本橋道路原標のレプリカだ。さーてここをスタートして日光街道を進みましょう。

えーなになに…宇都宮で107㎞かぁ。宇都宮が一番手前だけどここまで歩いて行けるのかしら…

13:00 と、不安を胸に日本橋をスタート。三越デパートの前を進む。

三越は江戸時代の1673年(延宝元年)にこの日本橋に越後屋として呉服店として江戸期からこの地に存続して今でも第一線で残っているってすごいね。

さすが歴史と重厚感を感じる。

向かい側にも老舗っぽいたたずまいのお店が。このお店は鰹節屋さんで江戸末期の創業とのこと。

室町三丁目の信号を

右に曲がって路地に入る

さっきまでの喧騒とは対照的な静かな雰囲気だ。

昭和通りに出たが・・・おや?これは渡れないぞ?っと思ったら

あぁこの地下道を通れってことね。

地下道を進んで

昭和通りを横断できた。

おぉ日光街道らしい標柱だ。

「徳川家康公江戸開府に際し御傳馬役支配であった馬込勘解由が名主としてこの地に住し以降 大傳馬町と称された」とある。

しばらくひっそりとした路地を進む。

13:24 馬喰町の駅を通過。

馬喰町を過ぎると呉服店が並ぶ街並みになった。江戸時代から呉服店街だったのか…は違うのかな。

R6に通じる清杉通に出る。

R14渡ると

R6に入って

神田川にかかる浅草橋を渡る。

神田川には屋形船が浮かぶ。

浅草見附跡…そうか、ここに江戸市中への出入りを監視した見附所があったということか。

先に進みましょう。総武線各駅の高架をくぐり

13:42 須賀神社を通過

蔵前一丁目にさしかかると

んん?なにか標識があるぞ。

幕府が正確な暦を作成するために天球を観測するのに天文台をここにつくったってことか。すごいな。江戸時代って、イメージよりも高度な仕組みで行政を行ってたんだなって思う。

日本橋から3㎞進んだのか。

14:06 浅草駒形諏訪神社を通過。

諏訪大社の分社ってことなのかな。

おっ すごい老舗のたたずまいを発見。駒形どぜう 本店だ。

HPを見ると「創業は1801年。徳川11代将軍、家斉公の時代」とある。すごいねー

駒形橋西詰の信号だ。

浅草寺の表参道を歩く。雷門が見えてきた。

実際の日光街道は仲見世通りは入らないでここを右に東武浅草駅方面に方向を変えるが

せっかくなので雷門をくぐって仲見世通りを歩く。この画像を見るといつもぎゅうぎゅうの観光客がまばら。改めて新型コロナで外出を自粛してたと実感する。

天正18年(1590年)、江戸に入府した徳川家康は浅草寺を祈願所と定め以降、徳川将軍家に重んじられた浅草寺は観音霊場として多くの参詣者を集めたという。

では日光街道に戻りましょう。

南千住方面へ進む

しばらくの間これといった見どころの無い都道を進む。

信号名が「泪橋」。これはここに橋があってこの先に処刑場があったという名残なんだろうな。

南千住の駅だ。

歩道橋を進むと右手に貨物駅の隅田川駅が見える。

南千住駅の西口側に降りた。おや?何か見えるぞ?

ちょっと入ってみましょう。

おぉ・・・小塚原の首切り地蔵

・・・なんとも言われぬ雰囲気を醸し出している。

ここ南千住駅周辺は江戸時代に小塚原の刑場があり江戸期の1651年に開設され明治期に廃止になるまでの間に延べ200万人がここで処刑されたという。

隣の回向院も刑場跡地だそうだが

ここに回向院には

歴史的な人物の墓所があるという。

こちらが吉田松陰先生の墓所。

鼠小僧の墓所。

なぜか「プロレスの神様」と言われたカール・ゴッチの墓もあった。ほんとにここに遺骨が入ってるの?この小塚原刑場では解体新書の杉田玄白が処刑された罪人を解剖したという伝承もある。

南千住のあたりで一晩過ごすとオバケが出そう。では千住大橋へ向けて先に進みましょう。

15:27 円通寺を通過

ここには戊辰戦争で銃弾を受けた上野寛永寺の黒門がここに安置されている。ところどころにある穴が銃痕ってことか。

これは平安時代に八幡太郎源義家が奥羽征伐して賊首四十八をこの地に埋め四十八塚とした首塚だという。ここが小塚原と呼ばれる由来となったという。

七重塔は八幡太郎義家の築いた首塚の上に建つ石塔のことらしい。三代将軍徳川家光の鷹見の松ってどれのことなんだろう。

では千住大橋へ進みます。

千十大橋の手前にあるのが素盞雄神社だ。

平安時代からの由緒ある歴史ある神社だ。

ではいよいよ千住大橋を渡りましょう。

浮世絵で見る千住大橋。奥に見える山は筑波山かな。

江戸時代に架橋されてその後たびたび架け替えられたが現在の橋は昭和2年に架けられたトラス構造でリベット固定の古い構造の橋だ。

千住大橋を渡ると

R4から離れ、旧道に入ると千住宿に到着だ。

では千住宿の中に入っていきましょう。

千住宿の浮世絵でこんなのがあるけどどのあたりをモチーフにしたんだろうか。川っぽいのは隅田川?

やっちゃ場…このあたりは問屋さんが並んでにぎわってたんだろうな。

16:04 源長寺を通過。

慶長15年(1610)創建ということで徳川幕府と同じくらいの時期に始まった歴史あるお寺だ。

千住宿を歩く。この道幅は当時の街道の道幅そのままという感じだ。

問屋場がここにあったのか。ここで物流の手配等してたってことか。

こうして千住宿、現在の北千住の街を進み

今回のゴールの北千住駅に向かうため日光街道からそれて

16:20 北千住駅に到着した。11㎞を3時間半ほどかけて歩いた。次回は北千住駅より日光街道の続きを歩きましょう。

※2021年9月4日

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